巷では夏休みが始まりましたね。
それに伴ってか、「推し 作文」というキーワードでこのブログにやってくる人が爆発的に増えました。期待に応えられなくて申し訳ない。皆、読書感想文を推しへの愛を語ることで乗り越えようとしています?それとも「推し燃ゆ」が課題図書なの?
例にもれず、私も読書感想文が苦手な子どもでしたが、ある時、突然開眼して高校の時に読書感想文で賞状を貰ったことがあります。
というわけで、今回は私が読書感想文をどうやって書いたかについて、紹介しようかと思います。
賞状をもらった読書感想文はどうやって書いた?
確か、読書感想文の締め切りの前日になっても1文字も書いていなくて、困りに困って適当に書いた作文でした。
選んだ本は三浦綾子の「母」。
出だしの一文はこうです。
「私は母が嫌いだ」
作文や小説というのは一行目のインパクトがとても大事です。
「この本を私が選んだのは〇〇だからです」と書いても面白くないし、何より自分も続きを書けなくて困ります。読書感想文というのはたいてい宿題だから、宿題のために選んだ本にたいした理由なんてないですよね。
なのに作文の1行目に本を選んだ理由などを書き連ねても続けられないでしょう。
だから一行目は、ほとばしるパッションをぶつけなければなりません。
その本を読んだときに何を思ったのか。
一番強い「想い」です。
私が選んだ本は題名が「母」でした。
作家、小林多喜二の母が主人公です。小林多喜二という人はプロレタリア文学で有名な作家で、代表作は「蟹工船」です。彼の思想がその当時の公権力とは全く合わず、投獄されたり拷問されたりした挙句、最後は虐殺されてしまうという、なかなかハードモードな人生を送った人です。
その小林多喜二の母が主人公でした。
しかし、小林多喜二を知っているか知らないか、「蟹工船」を読んだことがあるのかないのか、ぶっちゃけどうでもいいです。
私はこの本を読んで心底「母が嫌いなんだよな」と思っていたので、そこから始めました。
続く文章は、止まらぬ母への罵詈雑言。
母の何が嫌いか、どういうところが嫌いか、ありとあらゆる母の嫌いなことを作文に書きました。遠慮なく。そして本の中に出てくる小林多喜二の母と比較しました。
本から学ぶ母と私の母、そして私の話を書きました。
読書をして抱く「感想」とは読んだ人の数だけあるのです。
私のように「自分の母への悪口」が感想になることもあります。
作文で「人が気に入りそうな良い事」を書こうとすると失敗します。
ありきたりで、誰もが考えそうで、使い古されたエピソードを書くことになります。
だから読み終わったときに心に浮かんできた気持ちを読書感想文に書きましょう。
しかし
って思う人もいるかもしれません。
その時は「なぜ」自分はそれを「面白かった」と思うのか考えてみてください。
作品の
「どの部分を面白いと感じた?」
「どのセリフがいいと思った?」
「どうしてその部分を面白いと感じた?」
箇条書きでもなんでもいいので、一度書き出してみて、どうして自分がそんな考えをしているのか、振り返ってみてください。
例えば、タイムスリップをした主人公が様々な出会いをし、たくさんのことを学び、自分の世界へ戻ってきて、より自分の生活を大事にするようになった、という物語があるとします。
あなたはその物語を「凄く面白かった」と感じます。
しかし「何が面白かった」かは人によって違うはずです。
タイムスリップという、非現実的な事実が面白いと感じる人もいるでしょう。そんな人は「自分がタイムスリップしたらこんなことをするだろう」と妄想して楽しいですよね。
他には、タイムスリップすることで時間の大切さを知ります。そういう人は「日々無為に過ごしたりしている自分が恥ずかしくなった」と感じるかもしれません。
このように同じ内容の本でも感じ方は人それぞれなのです。
だから「自分がなぜ面白いと感じたのか」「なぜ悲しいと思ったのか」「なぜくだらないと思うのか」自分の中の気持ちを深く考えてみてください。
そこから生まれる一言を作文の1行目に書くのです。
例えばこういう1文目から始めるわけです。自分に問いかけると、書きやすいです。
「時間は無限ではないのだと、なぜ気づかなかったのだろう?」
賞レースで勝てる作文を書けるかは正直保証しませんが、
自分の気持ちを素直に作文に残すことはできると思います。
読書の感想と言うのはそういうものです。
誰のためでもない、あなたのための文章を書いてみてください。
宿題なんだから、取り繕う必要はないです。感想とは自分の中から生まれる「想い」なのだから、それを外に出せばいいのです。
あらすじって書かなくていいの?
ぶっちゃけあらすじ、必要ないです。
自分が面白いと思った部分の説明くらいで大丈夫です。
あらすじを書いて終わっちゃう、と思うくらいならあらすじを捨ててしまえばいいのです(極端)
とまあ、偉そうに書きましたが
私も読書感想文の宿題が本当に嫌いで、嫌いなくせにあらすじを書いてしまう自分も嫌いでした。気持ちはすごくよくわかる。そしてやけくそになって母の悪口を書きなぐって出した作文が賞を取ったので気づいたんですよ。ああ、こういう文章で別にいいのか、と。
先生たちからもすごく褒められたんですよね。どうやったらあんな文章が書けるのかと。
でも私は母の悪口を書いただけなんですよ。
文章って、「強いエネルギーに引きずられる」ものだと思います。あの時は「母の悪口」が私のエネルギーでした。
本の中にそういうエネルギー源を探してみてください。
どんな小さい事でもいいと思います。パッションの源を探してみると良いと思います。
「推し燃ゆ」を読んで、自分の「推し」へのパッションをぶつけてみるのも良いんじゃないですかね。昨今「推し方」問題も多々ありますし。
という推しの話にもどって、この話は終わりです笑
でも「面白かった」っていう感想しか思いつかない時はどうすればいいの?